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生まれました、産みました!!


さて、出産予定日前日の朝。
体は限界、心もぐったり。
眠れぬ息苦しい夜を何とかやり過ごし、明け方にうとうとする朝を迎えて、何日が経っただろう。

「ああ、今朝も陣痛の来ぬまま、日が昇ってしまった…。」
と重い体をやっとこさ起こし、だるまのようにベッドから転がり出て、
体重と血圧を測定し…朝ごはんを夫に作ってもらって、食べる。

しーん…。

昼ごはんの時間になっても、陣痛も来ないし、ドラマティックな破水も起こらない。

はあ…。

夫は赤ちゃんの衣類を入れるタンスを買って来ると言って、息子を連れて買い物に出かけて行った。

午後2時過ぎ。

しーん…。

そうするうち、なんだか骨盤底筋の中?が、腸にガスが溜まってツンツンと痛い時のような感じに痛みだした。
神経痛的な痛みで、持続しない。でも、散発的に痛みが繰り返しやってくる。

明らかに生理痛のような痛みだった前回の陣痛とは全く異なる。

なんだろうこれは?と思いながらも、結構痛みが強く、とりあえず楽になりたくて、トイレに行って大小ビジネスを済ましたら、かなりすっきりした。

ふん、ちょっと昼寝でもしておくか。

と思った時、痛みがなんだか無視できない感じになってきた。
さては、陣痛か?
陣痛カウンターを起動、測り始めたのが午後3時。
すると、痛みの持続時間は1分、間隔は計測し始めで4分、そしてものの5分ほどで3分、2分45秒と狭まっていくではないか!

「こりゃ陣痛だ!!」

この間隔だとやばい。病院からは経産婦はお産の進みが早いので、痛みの間隔が10分ちょっとになったらすぐ電話を下さいと言われていた。3分切っているというのは、もう2、3時間のうちに生まれるような状態かもしれない。

夫に電話しようかと思ったその時、帰って来た。

不意に涙が出てくる。
怖い、嬉しい、早く会いたい。でも息子が一人っ子である時が終わりを告げようとしている。
長い長い闘いであったこの妊娠期間を卒業できる喜び、辛かった日々、流した涙…。
すべてが感情の波となって押し寄せた。

3時45分、自家用車で病院へ。30分ほどで到着した時、陣痛間隔はおよそ2分。
痛みと痛みの間にさっと車を降りてエレベーターに乗り、歩いて受付に行こうとするが、
痛みで立っていられない。車椅子を用意してもらい、すぐに病棟へ。

なじみの助産師さんたちが遠くから私の姿を認めるやいなや駆け寄って来て、
「あらっ!だいぶん痛そうですね!さ、内診室行きましょう!」

そんなに痛そうな顔をしていたつもりはなかったので、さすが助産師さんは、痛そうな様子からお産がどのくらい進んでいるのか察知する能力がプロだわい、などと感心しつつ、何センチ開いてるか楽しみにしている私。まだいつもの調子で喋る余裕はあった。

息子のお産の時と同じ、大好きな女医さんが、
「ハイ!子宮口6センチ!どんどん進むわよ~!このまま自然にまかせてお産が進むのを待ちましょう。家で結構我慢してたの?」と。
「いえ、3時からなんだか変だから陣痛かもと思って測ったら、もう3分間隔で。焦って来ました。」

おそらく4時半頃、分娩台に乗り、5時頃には子宮口は全開に。
夫は抱っこ紐で1歳0か月の息子を抱っこして立ち会う。
「いきみましょうか!」と助産師さんが言うので
「えっ、もう!?全開ですか?」と私。
「はい、ほぼ。」
びっくりするわ、痛みについていけないわ、嬉しいわで大忙し。

ただ、とにかく前回のお産と違って、痛い!!
子宮の収縮を、打ち寄せる波のように感じながら、落ち着いて一つ一つの陣痛を大切に…と丁寧にいきめていたのとは大違いで、もうこれは痛いの一言でしょ!という感じ。

分娩台をいきみバージョンにしてもらい、陣痛のたびに股間に来る破裂しそうな痛みに耐える。
助産師さんと女医さんが、「あ~これは水よ。羊水がパンパンになってるの。破水させようか?」
「バシャーってやつですね!それやったら早く生まれそうですか?」
「うーん、痛みはきつくなると思う。でもお産が進むからね。やりましょうか…」

助産師さんが卵膜を破って破水させようとするが、まだ赤ちゃんの位置が高くてうまくいかない。
1時間ほどした頃だろうか、ついに女医さんが羊水を頭から浴びるのイヤ~とか言いながらも、そーっと人口破水させてくれた。
さすが先生、お上手で、おとなしくジャバーっと羊水が出ました出ました、たっぷりと。

痛みはすぐには変化せず、しかし回旋、降下を進ませるために左を向いてみようということになり、寝返りを打ったら、「ぎゃーっ!!!!痛い!!痛い!!痛いいいいい!!!」
絶叫せずにはいられない痛み。もう誰にも代わってもらえない、助けて、私どうなっちゃうの、大丈夫なの!???という痛み。泣こうかと一瞬思ったが痛すぎて泣く余裕もなし。
が、痛かった分だけ赤ちゃんの頭も下がり、対面に一気に近づいたもよう。

そこからはもう怒涛の陣痛祭り、早くお股のところまで降りて来て、硬いうんちをする時みたいになって!と願いながら、陣痛波乗りをしようとするが、パワーが出ない。
陣痛が来るたび、深呼吸を1、2回してから吸った息を吐かずに止め、肛門付近に思い切り力を入れていきむ。いきまないと出せないのだからと自分に言い聞かせながらとにかく頑張る。
しかしどうも「いきみ」が、ねじ山のなめってしまったボルトをドライバーで回そうとしているかのように、ずるずると逃げてしまう。もどかしさを感じながら唸る自分。
いきむたびに助産師さんが私の肛門をがっつり抑えながら出てきそうになっている赤ちゃんの頭を導いてくれる。

1分間隔くらいの陣痛の合間、呼吸を普通に戻してリラックスしたいのだけれど、あまりに陣痛が大変で、間欠期には眠ったような状態になってしまう。1分おきに眠り、陣痛のたびに起こされ、力いっぱいいきむという繰り返しを、1時間半ほど頑張った。

そして最後、30分ほど、女の勝負所。
夫の、「頭見えてきたよ!もう髪の毛見えてるよ!」の声に励まされた。
いきむいきむ。
出てくれー!
出て来ておくれ~!

そして、出ました、ついに。
すぐに可愛い産声も聞こえました。
私も泣きました…。
陣痛に気付いたのが午後3時。生まれたのが夜7時54分。およそ5時間で済んだ。


覚えているのは、「ありがとう、ありがとう!」と夫、息子、生まれたばかりの息子2号、助産師さん達、先生に心からの感謝の言葉を泣きながら叫んだこと。

出血量も少なく済み、胎盤はなかなか出てこなかったので、先生が手を突っ込んで、優しく引っ張って取り出してくれた。少し裂傷が生じた部分は縫合してもらう。お産は無事に済んだ…。

そして健康状態などチェックの終わった息子2号に、Mazel Tov! と言いながらキスした。

息子1号の時は、可愛い泣き声と、羊水と血のにおいが印象的だったが、今回の2号は、色白で落ち着いていて、動作もゆっくり。連れて来てもらった時は泣いておらず、不思議そうな顔で私を見つめていた。血や羊水のにおいもしない。そして大きい。生まれて何日か経っているような余裕の表情とでもいうのだろうか、なかなか落ち着いている…。

出産後は分娩室で2時間ほど休み、病室へ移動するのだが、前回よりも短時間で済んだこともあり、私の意識は割とすぐ普通の状態に戻った。助産師さん達も片付けが終わると出て行き、2号も新生児室へ連れて行かれた。分娩室には私と夫、1号が残され、静かな家族水入らずの状態に戻った。

ずっとお産に付き合ってくれた、お腹が空いているであろう息子1号に夫がヨーグルトを食べさせる。驚くほど食べるので、あとでお腹痛くなりはしないかと心配しながら、とにかく食べて、取り急ぎ夫はパンを食べ、やがて病室へ移動する時間になった。

助産師さんに車椅子で病室へ連れて行ってもらった。途中、新生児室の前を通り、息子2号を少し眺める。体重と身長をメモしてからおやすみを言い、夫と息子1号と別れる。

喉が渇いていたので、ウィダーインゼリーを飲み、眠ろうとしたが、すぐには眠れず、しばらくごそごそと長期戦に備えて持参していたカロリーメイトをかじったり、スマートフォンの充電をしたり、寝返りを打ってみたりしていた。

前回の出産は30時間越えの長期戦だったこともあり、病室へ行ってからはすぐに泥のように眠りの世界へと落ちていった。身体が全力で回復していこうとしているのがわかった。しかし今回は、あまり出産前と変わらない感じだった。さすがに疲れや局部の痛みは感じていたが、憑き物が落ちるように食欲が消えたり、快適な眠りが訪れたり、仰向けになって眠れる快適な感じも、あまりなかった。やはり出産後3か月で再妊娠からの高齢出産は、体に対するダメージが蓄積しているのかなあと思う…。

それでも何とか、切迫早産など多くの危機を乗り越えて、この可愛い新しい命を誕生させることができた。

世界中の、優しい励ましをくれた友人達、家族、夫、そして息子1号に、感謝の気持ちがあふれた。

産んで良かった。生まれてきてくれて本当に嬉しい。

これからも、よろしくね!

楽しく暮らしていこうね。

そんな思いで、今、産後3週間目に入ろうとしている。