つわりってどんな感じ? ~②対策、心構え編~

Closeup on tummy of pregnant woman, wearing long green dress, holding in hands bouquet of daisy flow

You are doing a great job with all your body and heart… So take it easy ♥

つわりの概要に続き、つわりを出来るだけ楽にするために私が思いつくことをメモしておこう。個人差も激しいし、日によって体調は激動するし、不安になったり辛くて寂しくて泣いてしまうことも多いと思う。でも、身体の中でもう一人、人間を作成中なのだ!もし、つわりに苦しんでいる方がこれを読んで下さっている場合は、ぜひ、そのことを素晴らしいこと、美しいことだと思って、辛い時はエコー写真など握りしめて、つわりの時期を乗り切って欲しいと思う。道を歩いているおじさんも、お店のお姉さんも、駅で会った小さい子も、みんなこの世に生まれて来た人達なのだ。生まれて来たということは、1人1人にお母さんがいて、そのお母さんたちはみんな、つわりを多かれ少なかれ経験して、さらに産む苦しみを経て、この世に小さな命を産み出したということを忘れないように…。あなたも、きっと乗り越えられます!

 

肉体編

  • 空腹にしない。吐いてもいいから食べる、くらいの気持ちで、少しずつ、食べたいと思えそうなものを探しながら、食べ続ける。1時間おきでも、3時間おきでも、夜中でも、朝起きてすぐでも、ベッドの中でも、車の中でも。食べる時間じゃないとか、場所が適切でないとかいう常識は妊婦には通用しないと思って開き直る。
  • 水分も比較的摂れる日と、水すらまずいと感じる日があるが、できるだけ少量ずつ飲むこと。飲んでも気分が良くなるとは限らないが、飲まないと絶対全身の状態が悪化するため。
  • 2,3日一切食べなくても何か飲めれば死なないが、半日以上何も飲めないとか、飲んでも全部吐いてしまうとかの状態になったら、すぐに点滴してもらいに受診すること。尿量が減って膀胱炎の兆しが見えた時も同じく受診すること。

 

メンタル編

  • 徹底的にわがままに徹する。日頃我慢したり、取り繕ったりしがちな女性は特に、出産や育児に絶対必要な開き直りや覚悟を身に着けるためにも、この機会に言いたいことを言い、食べたいものを食べ、やりたくないことをやめること。いかに誠実に、素直に周囲に助けを求めるかの練習にもなる。
  • 苦しい時は苦しいと言う。泣きたくなったら我慢せずに泣く。吐きたくなったら我慢せずに吐く。自分に「辛いねえ。よくがんばってるねえ。」と言い聞かせ続ける。出るものは出し、欲しいものは入れる。命は、エネルギーや物質の出入りから生まれるものだから!
  • 自分のありのままの心身の状態を、「これでいいんだ。」と受け止める。具合悪くてもまあいいか…赤ちゃんが元気ならいいや、ときっと思えるようになる日が来るから…。
  • 赤ちゃんのことを心配しすぎない。つわりの時期は自分の具合悪さに徹する。赤ちゃんが苦しいのでは…とか、食べられないから赤ちゃんが栄養不足になるのでは…とかの心配は要らない。妊娠できるという時点で、母体の中にはつわりで痩せても胎児を養うだけの力が備わっているので、肉体の神秘を信頼して良し。
  • 何でも徹底的に悩みたいだけ悩む。どんなにバカらしいと思えるトピックでも、しっかり自分で納得がいくまで悩み抜くまたとないチャンスが、つわり期だと思う。夫婦間の不満やわだかまり、家族親戚のこと、子供の将来のこと、仕事のこと、体型や性格についてのコンプレックス等々。何でもしっかり悩もう!ただし、悩み抜く時間は何としても確保すること。たとえ仕事を辞めてでも、である。仕事はその気になれば、きっとまたできる。何年後になってもだ。でも、妊娠は今しかできないかもしれないから…。
  • 妊娠する素となった、パートナーと可能な限り親密なコミュニケーションをとる。今まで見せたことのなかった一面を見せる絶好の機会。どうせわかってもらえないとか、こんなことまで言ったら引かれるかもとか、男だし言っても無駄か…とか思わずに、ぜひ可愛らしく、健気に、素直に、身体の状態や不安な気持ち、助けて欲しいことについて伝えること。ここで意思の疎通を放棄したり諦めたりすると、赤ちゃんが生まれた後、さらに自分で背負う責任や任務に押しつぶされてパートナーを恨むことになるのは必至なので、吐きながらでも、泣きながらでも、髪の毛べたべたで顔はゲロと涙まみれになっていても、可愛く「辛いよぅ、助けてよぅ、レモネード欲しいよぅ…!」などと訴えること。決め台詞は、「言っときますが、あなたの仕業のおかげで、こんな身体になったのですから。」(笑) ←ここでユーモアセンスを残す余裕を作れるよう、努力しよう!
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つわりってどんな感じ?~①概要編~

Stop and Smell the Honeysuckle

Why morning sickness…? And how did it feel?

さて、本日はつわりについて書こう。

つわりの奥深さといったら、妊娠する前から復活させていた私のTwitterアカウント上でのツイート内容が一時期8割くらいつわり関連になっていたほどである。記録のためにもツイートしていたのだが、妊娠初期からつわりピーク時は特に詳しい症状や感覚、激動する心境などを書きまくっていた。つわりによる心身の変化は、それはそれはドラマティックで、つわりネタだけで本が1冊書けそうだ。

 

つわりの何が大騒ぎするほどかといっても、まあ色々あるのだ。

思いつく順に書いてみよう。

 

まず、つわりに対するよくあるショッキングな発言、偏見、思い込み、理解不足について。ただでさえ身体は絶不調、精神的にもどん底状態の妊婦たちを、さらなる地獄へ陥れる、魔の言葉というものが、世にはまあたくさんあるものだ。例えば…

  • 「つわりって、病気じゃないんだから、仕事来れるでしょ?○○さんは臨月まで出勤してたし…」
  • 「つわりって、何がそんなに辛いの?妊婦だからって甘やかされたり、さぼったりしたいから言い訳してるんじゃないの?」
  • 「俺、男だからつわりって言われてもわからんねえ。好きで妊娠したんでしょうに!」という男性、または、つわりの辛さを経験したことのない女性による理解・共感不足等々…。

 

上に挙げたショッキングな言葉の主な原因は?

それはずばり、知識不足によるものが大半だと思う。

  • つわりは個人差がとても激しい(フルタイムの仕事も臨月まで何とかできたよ!という人や、妊娠4週から20週まで通勤もできないほど苦しみ、退職を余儀なくされる人等、様々。)
  • あるいは個人差というより、同じ女性でも、妊娠ごとにつわりのひどさも期間も大きく異なることがある(1人目妊娠時に重症妊娠悪阻になったが、2人目は普通のつわりで済んだとか、1人目は一度も吐かずに乗り切ったのに2人目は毎日吐く日が2か月続く等。)

これらのことを知らない人が、実はたくさんいる。Aさんが本当に臨月まで吐かずに済んで元気だったとしても、Bさんはサボりでもなんでもなくて、トイレとベッドを往復する廃人のような状態ということが実際によくある。人と比較したり、気力で乗り越えろというのは完全に非科学的、無茶な話。妊婦本人が辛いと言っている場合は、まずはそのまま信じてあげることが大切だ。そのうえで、元気が出てくれば、少しずつできることも増えてくる場合が多いと思う。

 

さらに、偏見がある。

  • 自分も子供が欲しいのに結婚や妊娠ができていないから妊婦が心から憎らしい
  • 古い世代の男性・女性像を今も理想としていたりすることで、妊娠や出産、育児は「女性がひとりで勝手に、黙々と耐えてやるのが当たり前だ」と思い込んでいる

などといった個人的な心情がもとになって出る言葉もあるだろう。

 

では実際、つわりとはどんなものか?体調が悪い話を読みたくない方は、この先読むのを控えて頂きたい。

私が経験した症状を挙げる。

  • 妊娠4週頃からの吐き気、血の気が引く感じ、めまい、腰痛
  • 猛烈な倦怠感と判断力の低下(車の運転ができなくなるレヴェル)
  • 空腹時に倒れそうに気持ち悪くなる(気持ち悪くてもクラッカーなどを少量胃に入れないと余計気持ち悪くなる)
  • 食べないと吐きそうで、食べても苦しく、食べた後も気持ち悪くなるという大混乱
  • 喉が引きつって吐きそうになる(ピーク時に見られた、つわり独特の嘔吐反射のような吐き気)
  • みぞおちのあたりが乗り物酔いしたみたいにムカムカする
  • シャワーやシャンプーが何日もできないほど気持ち悪い(3日に一度程度しか入浴できない。自分のべたつく頭の臭いでさらに吐き気を催す)
  • メイク大好きなのに白粉すらはたけないほど気持ち悪い(インフルエンザ感染時等を除いてほぼ年中メイクをしている私が!)
  • 徒歩5分の距離にあるスーパーへ行く途中、通りがかりの家や店の開いた窓から漂ってくる台所の臭い、排水溝、どぶ、ペット、咲いている花、調理中の臭いや湯気を全て警察犬のように感知してしまい吐きそうになるのでハンカチとエチケット袋なしでは外出できない
  • 今にも吐きそうに気持ち悪いというのに急に「高菜弁当食べたい!」などと超具体的な特定の食品を欲し、すぐに用意できれば食べられる時もあれば、夜遅くや朝早くに夫に買いに走ってもらったのに、食べようとするとまた吐きそうで食べられない状態になり、ゲロバケツを横に置いて謝りながら泣く
  • 肉や魚に対する猛烈な嫌悪感(写真を見るだけで吐きそうになる。生ものによる食中毒から身を守る本能的な反応?)
  • 太った人が歩いているのを見ると吐きそうになる(原因不明)
  • 油の臭いで吐きそうになる(夫が炒め物などする時は窓を開けて鼻をハンカチで覆っている必要あり)
  • 吐き気と交代または同時にやって来る深い感情(おえっ、うえっ、とえずきながらコンビニに納豆巻きを買いに行く途中、ただただ浮かんで来る涙。エコー写真を見ながらとめどなく流れる涙を拭き拭き気持ちを夫に受止めてもらう。空や木々を見るだけで美しくて、嬉しくて、悲しくて、辛くて、泣けてくるなど…)

 

上のようななかなかハードな症状が、時間や日によってまちまちで、ピークを含めてその前後、合計で3か月ほど(4~15週くらいの間)続いた。うち恐るべき肉体的つわりピークは約3週間(9~11週くらいの間)、次いで泣き叫び、怒り狂う精神的つわりがピーク2週間(12~14週くらい)。嘔吐が怖い私は相当気持ち悪い時も吐かずに乗り切ったが、吐いて大丈夫な人なら、おそらく毎日、日に何度も吐く生活が最低3週間は続いたと思う。

 

胃腸炎などは激しい症状が急に出るが、元気な人であれば2,3日も経てば何とか乗り越えられることがほとんどだろう。インフルエンザもとても辛いことが多いが、抗ウィルス薬を投与されれば、3日以内に相当楽になるだろう。感染症に対する身体の反応は、病気のもととの戦いによるものだ。しかし、妊娠したことで起こるつわりの症状は、私の場合、どちらかというと、母体と胎児を守るために起こる強制的な身体の不調、あるいは生命体としての一大事を知らせる警告の役目を果たす具合の悪さのような感じがした。日頃から健康な女性であるほど、いきなり訪れる猛烈な体調不良に、「一体私の身体に何が起きているんだ?」と驚くと思う。

 

もしも、何か深い事情がある女性が、妊娠するとつわりが起こるということを全く知らずに、妊娠してしまったと仮定しよう。生理のメカニズムや、妊娠や出産の辿る過程についても知らなかった場合、わかることは、「毎月の生理が止まり、間もなくものすごく具合が悪くなり、食べたり吐いたりを繰り返す。だるくて眠くて農作業も裁縫も料理もできない。」といった事実のみだろう。もう病気で死ぬのかもしれないと恐怖を抱くほどの体調不良だ。そして、寝込んで偏食して、ぐったりとしながら精神的にもボロボロの状態が続く。それが2,3か月続いた後で、お腹が急に出てくる。ここでまた、「何だろう?腹の中にできものができたか。自分は死ぬのか…。」と思うかもしれない。息苦しく、胃腸も肺も圧迫されて、立っているとクラクラする。そうして絶望しているうちに、胎児がどんどん大きく成長し、力強くなってくる。胎動を感じ始める。そこで、「腹の中に、何かいる!?」と気付く。そうこうしているうちに、ついに陣痛の苦しみが訪れ、何が出るのかとパニックになっていると、両脚の間からある日、小さな人間が出てくるのである…。どんなに無知な女性であっても、ここで、「ああ、腹の中にいたのは、新しい人間だったのか!」と理解する。

 

もしつわりの絶望的に不快な症状がなかったなら、妊娠した女性は、元気に動き回って、力仕事もするだろうし、走ったり危険なこともするかもしれない。その結果流産してしまう危険性も出てくる。これを防ぐために、体が強制的に「気を付けて、ゆっくり動くように。嫌悪感を抱くものからできるだけ遠ざかって、心身共にゆったり過ごすように。」と警告を発しているのではないかと、私は考える。つわりが軽く、元気に過ごせる幸運な人ももちろんいるが、そういう人が必ず流産するわけでもないので、一概には言えないのだが…。

 

1人1人の女性が、特に流産しやすい妊娠初期のつわり期間中、孤独な時間、自分の気持ちや体調と嫌でも向き合わなければならない時間を持つことが、実はその後、一生物の母親として出産、育児をしていく中で、とても大切なプロセスなのだろうと思う。何か月も続く具合の悪さに、精神的にも追い詰められ疲弊するので、他人の痛みがわかるようになったり、苦しんでいる人に優しくなれたりもする。私の場合は、色々なことがどうでも良くなって、「元気でさえいれば、生きてさえいればとりあえず良しとする」と思うようになった。

 

普段であれば考えないようなことを考えたり、身体の変化に戸惑ったりで大忙しなのがつわり期。とにかく身近にいる妊婦が元気そうにしていたとしても、実は家や職場のトイレで吐きまくっていたり、駅で倒れて通勤途中に救急車に乗ったりしている場合も相当あると思われる。つわりが臨月まで続く大変な人もいる。キラキラのマタニティーライフなんてメディアが作り上げた嘘っぱちのイメージだと思って、ぜひ妊婦を見かけたら倒れそうでないか、吐きそうでないか、少し気にかけてあげて頂きたいと思う。特につわりがひどいのは、お腹がまだ全然妊婦に見えない妊娠初期のことが多いので、マタニティーマークをつけている人がいたら配慮する思いやりが必要だと思う。

 

「勝手に、好きでお前が妊娠したんだろ。」などと言う人には、「あなた様のお母様がどれほど苦しんであなた様をお腹の中で9か月間養い、ろくでもない考えができるようになるまで育ててくれたかに、どうかあなた様が死ぬ前に思いを馳せられますように。そしてどうかあなた様が年金ももらえず、生活の保障も受けられずにあの世へ旅立たれん事を…」と祈るだけにして構わずにおこう。どんな人間でも、この世に生まれて来れた暁には、誰かの役に立つ人間になる可能性が必ずあるのだから。世の中、誰も一人では生きてはいけないのだから…。

2018年スタート。~最近の体調~

Eat, eat, eat, but healthily!

2018年が始まった。

ようやくつわりが収まり、お腹が出てきて、ほっと一息入れたいところだが、日々どんどん大きくなるお腹の中の「はらわた配置ポジション」に慣れるのも一苦労。風船のように成長していく子宮とその中の胎児によって、胃が持ち上げられ、腸は押し潰され、私の大事な消化器の類がフーフー言っている。せっかく気持ち悪さがなくなったのに、調子に乗ってもりもり食べると、後で消化に手こずり、食べたものが喉元まで逆流してくる感があるから油断できない。さらに便秘までデビューしたものだから、気を使うことが減ることはない。

現在の心がけとしては、次の通り。

  • 水分をこれでもかというくらい摂る
  • 野菜果物中心で!
  • タンパク質は良質なものを選ぶ(牛肉控えめ、鶏肉とツナ缶、魚、大豆!)
  • 高血圧防止のため塩分はなるべく控えめに
  • 甘いものは妊娠してからほとんど食べたくならないが、食べたい時はなるべく果物で対応…
  • 貧血防止のため鉄分を含むものを取り入れる(プルーン、焼き鳥レバー時々、レーズン、あさりの水煮缶、ココア)
  • 乳製品で便秘・カルシウム不足対策(ヨーグルト、チーズ、牛乳)
  • できるだけ動く、歩く(お腹が張ったら休む!)

等々。

巷でよく言われる、安定期はバラ色のマタニティーライフで云々…というのは、モロッコには悲しみは存在しない、というのと同じくらい不可能な話。

いつ何があるかわからないのは、何も妊娠初期だけではなく、これからも続く。産むまで続く。体型は新たな生命を養う目的を遂行中で、どっしりと神秘的な丸みを帯びてくるし、胸も着々と乳の製造へ向けて準備中。体中が赤児を成長させ、誕生させ、養うことに向けて全力で取り組んでいることがわかる。ありがとう、私のボディ!がんばれ、私の肉体!その調子だ、我が体躯…!

しかし日によって体調に波があるし、具合が悪く横にならないといけないこともある。せっかく楽しいお出かけに行っても、出先でめまいがしてクラクラして今すぐ自宅のベッドに横になりたいと感じることもある。そんな時は、「もうヤダ!早く産みたい。疲れる!」と根を上げるのみ。

ジャンプしたり、走ったり、山登りをしたり、思いっきりお腹を空かせてからインドカレーとナンとサラダのセットをたらふく食べたり、好きなウォッカを味わったり…。これらはすべて、この腹の中の赤児を外界に産み出してからでなければ叶わぬ。とほほな気分になる。しかし仕方ない。何とか日々を乗り越えるのみ。逆に、今こそが腹の子を気遣うことをきっかけに、やたら健康的な食生活を身につけてしまう絶好の機会では?と期待している。

情緒的には安定してきて、つわりがひどかった頃の鋭敏極まりない感性は落ち着き、生命の神秘を思って涙を流す回数も減った。

それと、顔つきが変わった気がする。何かこう、別の人格が自分の顔の中に参入してきたとでもいうような不思議な雰囲気が、鏡を見ると窺われる。腹の中の赤児の仕業なのだろうか?それとも、ちょっとずつ母になりつつある私自身の新たな顔なのだろうか?色々と面白いことが起こるものだ…。

子供が欲しいか?できないと悲しいか?について その③

To bloom or not is not just our choice, but it happens with G-d’s plans…

さて、今回はいよいよ「子供は要らない!本当に欲しくない!」と豪語していた私の気持ちがどのように変化したかの話になる。今年はこのシリーズをひとまずここで締めくくることにする。

結婚してからの私の心境は結婚前とほとんど変わらず、次のような感じだった。よく揺れ動いたものだった。

子供は欲しいが、経済状況は厳しい。私が納得のいくような教育、具体的にはインターナショナル・スクールへ子供を通わせて、自分が育ったような環境に近い環境の中で、自分に似た価値観を受け継いでもらいたいという希望が、そうそう叶わないことが知れている。そのことに対する親としての罪悪感が強くある。

そしてもっと広い視点に立って考えると、これから多くの人々の想像を上回る速さで進むであろう気候変動や、それに伴う食糧不足等の、人類としての厳しい生存条件を思うと、本気でこれ以上人間を増やしてはならないという気持ちにもなる。人類の終焉を目撃することになるかもしれない我が子に何もしてやれないのに、子なぞ産んでどうしようというのか?子の幸せを思えば思うほど、産むことが罪深いことのように思えてならなかった。

自分の理想とする生活とはかけ離れた生活をしていて、しかも夫婦での努力だけではどうにも理想に近づけるのにも限りがある現実の中で、もがき続ける結婚生活約2年。36歳の終わり。しかし、理想の生活をするお金が足りないからといって、心から愛し合っていてできれば子が欲しいと思っている健康な身体の夫婦である私たちが、避妊にお金をかけて子を作らないように努力する必要があるのか?なんだかご飯を食べるな、トイレに行くなと言われているような感じがしないか?そんな風にまで思ったこともある。

この辺りで、何かがぷつんと切れた。切れたというか、堪忍袋が膨らんではち切れ、緒も切れたところから、別の風船が生まれたような、不思議なフェーズに突入した。体内の生物学的本能時計が最終警告アラームを鳴らしたのかもしれない。

37歳を目前にして、突然、10年近くきちんきちんと飲んでいた避妊用のピルを、「もう飲みたくない。」と宣言し、やめた。ピルの副作用による血栓症のリスクが気になったこともある。それにピルを飲んでいるのに、私の身体が「本当は排卵したいのにすごく我慢しているんだぞ!」と訴えているような感覚がこの1年ほど月を経るごとに強くなってきた感もあった。そして何より、夫の献身的な愛情と忍耐強さに日々心打たれて、「この人の子なら欲しいかも…」と思えたということがある。世の中、好きだ好きだと言葉ばかりで何もしない男性も多いが、夫は一生懸命行動することで愛情を示してくれている。彼の私と同じく無類の動物好きという「生き物としての」心の優しさなどを知っていく中で、文字通り何度も恋に落ちて、一体この先どうなるんだろうと感じることも多かった。そして、「そうか、人を好きになりすぎると、人が増える仕組みになっているのか…」と神様が人間の生殖機能を設計されたことにも思いを馳せた。

ユダヤ教では、人間があの世に行くにあたり神様から聞かれる4つの重要な質問として下のようなものがあるとされている。

「誠実に商売(仕事)をしてきたか?定期的にトーラー(聖書)を学ぶ時間を取っていたか?子をもうける(養う)ことに取り組んだか?世界(人類)が救われることを待ち望んできたか?」

(バビロニアン・タルムード シャバット 31aより抜粋)

ユダヤ、キリスト、イスラーム教等の一神教は特に、信者数を獲得するためにも結婚を神様に祝福された合法なものにすることによって、子をもうけ人口を増やすことが奨励される、とも言えるだろう。極めて文化人類学的、かつ自らが信者でなければこその冷静(冷淡?)な言い方とも思えるが…。とにかく、多くの宗教において、お互いを尊重しあう結婚している男女が子をもうけることを良くないとすることは稀だ。

それでも、私は結婚してからも2年近く確固たる意志を持って避妊を続けていた。

夫は子供好きだ。優しい性格で子供の世話も手伝ってくれると確信できた。

それでも、私には自信がなかった。しかし、実際のところ、自信満々で妊娠、出産、育児をしていける親などこの世にいるだろうか?

にもかかわらず、確かに自らの身体と、神様からのメッセージが聞こえたような気がしたのだ。

だからこそ最終的にピルを飲むのを止める直前、私は魂の中の霧が晴れていくように感じた。

命は思い通りにならない。私と夫が現在ちょっと見たところ健康体であっても、子ができるかどうかもわからない。不妊症であるか否かの検査等は一切していなかった。お金がないとか、こんなご時世に子供なんて…とかいうのは子を持たない理由にはなりえない。アフリカの諺でも『生まれた者は産まねばならぬ』という。子ができるならできるということ。生まれたら育てよということで、おそらく育てられるということ。子ができなければできないで、夫婦二人で仲良く生きていくべきだということ。夫婦の愛の結晶は、「人間の子」という形でのみ現れるものではない。ある夫婦の「子」は絵画であったり、またある夫婦の「子」は音楽であったり、日々の食事であったり、その他様々な形での社会への貢献だったりもするのだから。私はそのような素敵な「子」を持つ夫婦をたくさん知っている。お互い若く健康であっても、子ができることが当たり前なわけではないのだし、避妊をやめて自然の流れに身を委ねてみなければできるのかどうかもわからない。しかし悩んで足踏みしていては、いずれ確実に子ができない身体になる。ならば行動すべき時は「今」だ。

子が欲しい人がなかなか子ができず、子を望んでいない男女の間に子ができたりもする。原爆が投下され地獄絵図の中を生き延びた妊婦が、焼け野原で焼け残りのトタン板の上で赤ちゃんを産み落としたというが、彼女が生き延びたこと、生まれてきた赤ちゃんが栄養不足や母親の精神的ショックや被爆にも関わらず、元気に産声を上げたことは、果たして母親と赤ちゃんの意志や能力だけによるのだろうか?

人間の意志は大切だが、自然は人間の意志とは別に、神様からのメッセージを示してくれることも多い。私たちがそれをどう感知し、分析し、自分の意志と合わせて行動に移すのか?

子ができないなら体外受精を。代理母に産んでもらえるならば…。あるいは名も知らぬ人から精子を譲り受けてでも子が欲しい。

そのような思いや考えがあっても、もちろん良いとは思う。しかし、そもそも子が欲しいと思う気持ちがどこから来ているのかを、よくよく突き詰めて考えてみると、案外親達の自分勝手な理由からなのかもしれない…。まあ、私達自身が生きていること自体がそもそも利己的な事なので、簡単には結論付けられない話なのだが。

とにかく私の場合は、もし子ができないのなら、子を持つこととは別の、他にすべきことがあるのだろうと考える。

流産したら、その子には生まれて来られない事情があったのだと考える。

死産したら、生まれてきていたら何か恐ろしい運命が待ち受けていたのかもしれず、天使になって生まれたことでその災難を回避できたのかもしれないと考える。言うまでもなく悲しみは大きいだろうが。

何とか無事に生まれて来たのなら、やはり何かこの世ですべきことがあってのことなのだろうと考える。

こうした目的や現象の理由や原因やその後の見込みというのは、いずれ死んで塵に還る私という小さな人間には、完全に理解できるはずもない。

ある男性が、神を信じる心優しい人が、なぜ不幸に見舞われ苦しまねばならないのか?とラビに質問したところ、

「神様の御意図を理解できない?当たり前だ。

それが理解できたら、あなたが神になれるだろうに!」

と答えたとどこかで読んだが、まさにこの答えは正しいと思う。重要なことは、後になってからじんわりと分かって来ることが多いものだから。

色々コントロールしたくてもできないのが生きるということであって、大切なのは、起こることをどう解釈して、それをどう自分の人生の糧として生き続けるかということだと思う。

あるものが欲しいのに手に入らず泣き暮らしたのに、実はそれが手に入らない方が良かったのだと後で気付くことも多い。

だから、ここぞという何かを感じた時や、どうしても何かがうまくいかない時は、心の準備をしてから自然の流れに乗ることもありだと。今回の事では、子供ができてもできなくても、不安と喜びが半分ずつだと自分に言い聞かせた。子供が欲しくてたまらなかったわけではないから、できなかったとしても、絶望的に悲しいとまでは思わなかったと思う。できたとわかった時も、まず不安に襲われたが、そのあと素直に神様からのプレゼントだと嬉しくも思えた。私は、子どもができてもできなくてもどちらでも良かった。神様に委ねたのだった。

かくして、避妊をやめた直後、さっそく妊娠したというわけだ。私は妊娠したので、以来それを日々精一杯やっている。それだけだ。

10年近くもピルを飲んでいたことだし、すぐに排卵機能が再開するとも限らないと知っていた。夫と私の年齢を鑑みても、子ができなくても何の不思議もないと思っていたので、さすがに「ええっ、もうですか!?」とは感じたけれど、これがまずは、神様からのメッセージなのだと受け止めた。

2017年の秋。神様の御計画により、私は37歳の誕生日の少し前に、小さな小さな命の始まりをお腹の中に宿らせることとなったのだ。

子供が欲しいか?できないと悲しいか?について その②

Rainy day in paradise

前回は、20歳から34歳で運命の男性に出会うまでの私が、「子供が欲しかったか否か」について書いた。単純な質問にも関わらず、私自身の気持ちや仕事・経済状況にも左右されることだし、何よりも大きな責任を伴うので、「子犬は好きですか?タダでもらってくれませんか?」と聞かれた場合にも増して答えるのが大変だったことがわかってくる。状況に応じて私の気持ちは大きく変化した。

 

ここで質問をもっと簡単にして、「子供が好きか?」にしてみよう。

これは、ごく若かった頃は素直に「好き!だって可愛いんだもの!」だったのが、「運命の男性」がなかなか現れないと感じる度(つまり失恋する度)、「子供なんか…」という気持ちになっていったことを白状する。私は自分がいかにも女性らしい思考回路を持つ人間だとは思わない。どちらかというと男性的な考え方をしがちな方だと思っている。

 

それでも特に若い女性にありがちな、「運命の男性が現れる」ことがほぼイコール「結婚してお嫁さんになって、可愛い赤ちゃんを産み育てる」ことに直結している思考回路というか、夢や理想が、私の頭と心の中にもちゃんとプログラミングされていた。だからこそ、失恋するたび、幸せそうな既婚男女や子供を可愛がっている夫婦を見て悲しい気持ちになったり、小さい子を見るとむきになったように湧き上がる「手のかかる生き物め…」といった底意地の悪い老婆か、心がささくれだった孤独な老齢男性になったような気持ちに興ざめし、そんな自分の一部分を好きになれなかった。

 

自分の悲しみや嫉妬心を正面から認めることは勇気が要るけれど、実はとても大切なことだと思う。―そうか、私は子供が好きだし、欲しいし、自分と子供に優しくしてくれる、ずっと一緒にいて旦那さんになってくれる人が欲しいわけね。

そう自分の気持ちを受け止めて理解してあげることは、とても有益だった。他の事に関してもなかなか状況が難しくて真実を認めるのが辛い時もあるのが人生というものだろう。でも私がこのことを素直に認められた頃、それがちょうど現在の夫に出会った頃に重なる。

素直に求め、努力すれば、与えられるものは意外と多いのかもしれない。

 

「運命の男性」、Yさんとは、はじめから不思議と会話が弾んだ。しかも疲れない。Yさんも楽しそうに自分のことを話したり、質問をしてくれた。一緒に食事し、午後の仕事のためオフィスへ戻る途中、一緒にコンビニにも寄った。ずっと前から知り合いだったみたいに自然なやり取りができた。それからは私のいたチームの他のメンバー達と彼とで近くの食堂へ行くようになった。そして月日が流れ、ある日、お互いの仕事が終わってから、2人だけでオフィス近くのイタリアン・レストランでゆっくり食事をしながら話すことになった。いつもとは違い、完全にプライヴェイトでの食事だった。驚くような楽しい話を、彼は立て続けにした。私は彼から問われていた自分の気持ちについて包み隠さず誠意を込めて話した。彼もそれに応えて自分の望みを数少ない言葉で語った。お互いの気持ちをとても素直に伝え合うことができたと思う。

 

当時私はフルタイムで働いていた上に、今はメインとなっているが当時は副業だった自分の仕事も忙しかったので、睡眠時間がきちんと取れず、その夜も頭痛がしていた。しかし彼と一緒にゆっくりとサラダとパスタを頂いているうちに、とてもリラックスして頭痛も治っていったのを覚えている。人と会うとエネルギーを使うため、普段は体調の良くない時は会食などすると症状が悪化することが多いのに、まるで家族といるようにくつろげたためか、体調が改善した。「へぇ…。これは不思議。なんか楽だ。」同時に、一緒にいると楽しい友達のような存在だった彼を、素敵な男性として、つまり恋愛対象として完全に意識した。言葉少ないものの、彼の思いやりや、優しさと誠実さが、目には見えない、耳でも聞こえない、何か波動のようなもので感じられた。

 

とにかく、2人きりでの腹を割ってのディナーの後、私たちの心の距離はさらに縮まった。それから1か月ほどして、日が昇るように自然に、お付き合いすることになった。一緒にいるとドキドキするというよりも、安心するというか、ほっとするというか、彼は、生活がとても大変で仕事でも様々なトラブルに見舞われていた当時の私にとって、いつも優しく話を聞いてくれてそっと力づけてくれる、心のオアシスのような、心地よいベッドのような存在だった。後に知ることになった彼の腕に身をゆだねている時の心地よさは、まさに南の地方の太陽にあたためられた透明な海の浅瀬で、目を閉じて浮き身している心地よさそのものだった。「運命の男性」との心地よさは、どこまでいっても「母なる自然」に似通っていた。今までのロンドンや東京のキラキラ輝くリッチな夜景を眺めながら高級な料理をスタイリッシュなドレスを身に纏ってシャンパンで乾杯!という感じのデートとはかなり趣が異なっていて、とにかく心が安らいだ。4か月ほどのお付き合いを経て、職場が同じということもあるし、お互い遊びで付き合っているのではなく、家族にも安心して欲しかったので、これまた日が沈んで月と星が昇るように、「結婚しよう。」と2人で決めた。とても自然な流れだった。

 

私たちの出会いから現在に至るまで、あらゆる面で無理が全くなかったわけでは決してない。大変なことは数えきれないほどあったし、これからも想像もできないような困難が降りかかってくるだろう。それでも、彼との関係の何が特別かといったら、やはり「自然」「疲れない」「心地よい」がいつも基礎になっていた点。「ああ、結婚するくらいの相手っていうのは、格が違うんだねぇ…。」そう思った。やっと出会えた、一緒にいて安心できる人…。たくさん失恋したけれど、失恋したからこそ、彼に出会えた。

 

結婚するくらい心地よい人だったのは確かだ。しかしこの超本命となった彼との交際中や結婚当時、「子供が欲しかったか?」については、まだまだ…である。「子供は欲しくありません!絶対作らないつもりです!」が私の答えだったのである。それがどうして妊娠するに至ったか。次回はそれについて書きたいと思う。

子供が欲しいか?できないと悲しいか?について その①

Edna Purviance from “The Kid”

今日はまた特に、繊細な事柄について書こうと思う。

不妊治療(人工授精、代理母に子を産んでもらう、精子バンクの利用等)にも広い意味では関わるので、多くの方の心を傷付けたり、不快な思いをさせたりしてしまうかもしれない。嫌な予感のする方は、このタイトルのシリーズをこの先読まれないことをおすすめする。

また、これから書くことは、私の全くの個人的、感覚的な考えや価値観に基づくものなので、異なる価値観や考えを批判したり、意見を持つ方を説得するつもりはない。

それぞれが自分なりの考えを持って、一度きりの人生を精一杯生き、楽しかったと思えれば、よほど人を傷付けたりしない限り、ほぼ良し!と考える単純な考えの人間が言う戯言である。そういう考えなんだねえ、と流して頂けるか、そんな見方もあるんだねえ、と気付きや理解のもとにでもなれば私は幸せの限りだ。

まず、「子供が欲しいか?欲しかったか?」について。

長くなるので、分けて書く。今日はその①だ。先は長いので、ちょっと興味のある方のみ、グダグダ寝転がって暇つぶしにでも読んで頂けたらと思う。

そうねえ…。ちょっと考えてしまう。12歳で生理が始まり、14歳くらいでおそらく妊娠可能な体になり、18歳くらいで生物学的にはいつでも妊娠して良い状態にはなっていたと思う。20代前半の頃は、年上の友人が多く、子供をたくさん持つ人種も国籍も様々な女性が身の回りに大勢いたので、よく「あかねちゃんも早く良い人見つけて、可愛い赤ちゃんたくさん産んでね!きっと可愛い子になるわよ!」なんて言われて、頬を赤らめたりしていたものだ…。若かったなあと思う。彼女たちの妊娠中の姿や、赤ちゃんとの生活にも自然に触れていたので、妊娠中胸焼けで夜中に苦しくてよく眠れなかったり、赤ちゃんにおっぱいをあげるために何度も起きていた生活スタイルのことも、肌で感じることができた。私は若かったし、赤ちゃんをおそらく本能的に「可愛い!」と思っていた。だから、私もつわりや胸焼けや体を動かすのが億劫になる不自由さを耐えても、赤ちゃん欲しいなあ、と感じていたと思う。それに、当時私が親しく関わっていたのは、国際結婚をされている夫婦や外国人の夫婦が多かったので、父親と母親の瞳の色や肌の色が違うことで、生まれてくる子供の特徴がどう受け継がれるのか、それと成長していく中でどのように言語や文化を習得していくかにとても興味があったのだと思う。だから自分も自分と異なる遺伝子を持った男性と結婚して、どんな子が生まれるかを楽しみにしていたのだろう。

 

そんな私だったが、勉強や遊びや仕事に忙しく、同時に「運命の王子様」はどこから現れるか!?と日々飛び回りながら、何度か恋に落ちた。元気でハンサムな人。優しい人。魅力的な人。ミステリアスな人…。でも、なかなかうまくいかない。それぞれ、お互い一生懸命にやったのだけれど、残念な結果となってしまった。一緒にいられる時間が限られているとか、飛行機で14時間の距離に阻まれてデートもままならないとか、宗教上の理由とか、色々な理由があったが、今思うと、つまりご縁がなかった、うまくいくはずもない恋愛だった、ということに尽きる。

 

こうした一連の苦労の最後の締めくくりは、28歳での結婚、その3週間後に離婚という激しいかたちで迎えられた。

ショックだった。詳しいことはここでは省くが、文字通り、人生が、人生の計画が、夢が、全て崩れ去るのを感じた。子供も絶対2人は産んで欲しいと言っていた彼が、ある日私の目の前から断りもなく消えたのだから、当たり前だ。

これから先、こんな過ちを犯してしまった自分を新たに気に入ってくれる人に巡り合えるのだろうか?何年経てば心の傷は癒えるのか?再び男性を信頼することが、こんな自分にできるだろうか…?

 

逆算した。今すぐ運良く、前向きに進もうとする自分を好きになってくれる男性が現れたとしても、デートして、相性を確かめて、さらに最低1年は一緒に生活してみないと人間の本性は見抜けないものだ、と今回の過ちから学んだから、交際期間プラス最低1年間の同棲期間が必要でしょ…。確実に30歳は過ぎるな。そう思った。結婚してからも、子供を育てていくのに大丈夫そうな相手か、生活スタイルや経済状況、さらにはお互いの体調もあるだろうから、すぐに子どもができるかなんてわからない。35歳までに産めたら幸運中の幸運だ、そんな風に思うと、面倒になってきて、それよりも自分自身の気持ちと今後の人生計画の立て直しの方が大切だと考えた。

現れるかどうかもわからない運命の王子様を求めてふらふらと彷徨うより、粉々に崩れてしまった自分自身を再建して、自信を取り戻すことの方が先決だ。その過程で、そんな私をいいと思ってくれる人が現れたらこれ幸い、でも、そうならなくても自分で自分を支えていけるようにちゃんと働いて、楽しく暮らすんだ!そう決めた29歳の春だった。

家族や友人の献身的な支えと励まし、そして何より神様は絶対に私を良い方向へ導いて下さるという思いを胸に、新たな仕事に就き、様々なことに再び興味を持ち、素晴らしい人達と出会った。新しい世界を知り、人生は生きるに値するものだと思えるようになってきた。この頃、「子供が欲しいか?」については、「わからない。まずは自分を幸せにしたい。」という気持ちに変わっていた。

 

それから5年後。様々な事が起こり、私は34歳になり、愛車の故障で偶然お世話になった男性から交際を申し込まれた。人生初めての、日本人男性からのお誘いだったので、びっくりしたけれど、少し嬉しくもあった。彼は照れながらも親切に接してくれた。自分は結婚したいと思っていること、子供が好きなこと、貧しくても笑顔でだし巻き卵を焼いて持たせてくれる優しい奥さんになってくれる人をこの数年ずっと探していたこと、そしてその人に自分の子を2人は産んで欲しいと願っていることを、一生懸命話してくれた。私は彼の話を聞きながら、申し訳ないと感じた。何がとははっきり説明できないのだけれど、彼の子を産んで自分が幸せになれる自信がなかった。彼が私自身ではなく、子供を欲しがっているだけのように感じたからかもしれない。「私は、赤ちゃんマシーンなんかじゃない…!」私の心が叫んだ。そして彼と会う機会は減り、関係は穏やかに解消された。

 

それから何か月かが経ち、新しい職場で現在の夫となる人に出会った。まさかこの人と結婚することになるなんて思ってもみなかった。当時の私は色々な面で苦しい境遇にいた。先行きも不透明、経済的にも絶望的。もう笑いだしたい気持ちだった。結婚や子供を持つことなんて考える余裕ゼロ。とにかく一日一日を大切に、仕事を全力でこなす日々。そのオフィスのコピー機のそばの席に、背の高い男性がいた。「大きい人だなあ…。日本人にしちゃあ珍しいよなあ…。」と思いつつコピーをするたび、スキャンをするたび、ちょっと気になっていた。しかも彼が何の仕事をしているのかよくわからない。どうも他の人たちとパソコンの形相が少し違うのだ。大きなモニターを並べて作業している。大きなプリンターから巨大な印刷物を出して切ったり貼ったり巻いたりしている。体も大きいのに、パソコンもプリンターも大きいのが、なんだか面白くてチラチラ眺めていたものだ。

そしてある日の昼休み時間に、私のチームの仲良しメンバーだった男性Sさんが、「ねえ、知ってる?あのコピー機の近くの背の高いYさんてね、おとなしそうに見えるんだけど、意外な一面を持ってるんだよ…!」と私に話しかけてきた。聞くと、バイクが好きで、スピード狂のきらいがあるというのである。私はなるほど、と思いながら、「えっ、そうなんですか!人は見かけによらないですからね~!」と笑って頭に情報を保存しておいた。

大型バイクに乗り始めてあまり長くなかったSさんは、バイク関連のことをYさんに聞いたりするうち、次第に親しくなっていき、ある日Sさんと昼食を一緒にとることの多かった私もYさんと同席することになった。そこで、このYさんとの運命の出会いが本格的にスタートしたのだった。

 

少女漫画のような乙女チックな、「彼との馴れ初め」で終わって申し訳ないが、本日はこのあたりまでにしよう。まさか、このYさんと、お付き合いするようになるなんてね…。34歳当時、私は、「子供は欲しくないです!」と公然と断言していたことを、断っておく。結婚願望もほとんどなかった。諦めとやけっぱちの入り混じった気持ちで、日々を生きるために生きていたという感じだったのだ。

妊娠の予感 ~茫漠とした寂寥感と、その正体。~

~Me and My Dear Husband~

今になって思い返すと、妊娠直前から初期にかけて、今までにないほど鮮明に、過去の記憶が脳裏に蘇ったものである。

アフリカに住んでいた頃、家族でよく行っていたレストランのこと。

Dolce Vitaというレストランで大好きだったピッツァの味。

Euro Pubというお店でいつも注文していた、Seafood in a Shell という料理の美味しさ。

中東で住んでいた学生寮のそばの駐車場の風景や風の音。

不気味に薄黄色い、砂嵐の粉っぽいにおい。

イギリスの大学院時代に住んだ学生寮の廊下や、シェアハウスのキッチンの薄暗さ…。

驚いたのは、私がまだ3歳くらいだった頃に住んでいた青森県で、両親に連れられて行った、とある公園で、桜吹雪が舞う中、右手は父、左手は母につながれて、坂をキャッキャとはしゃぎながら、何度も転びそうになりながら下った時のことを、動画を観ているくらい鮮明に思い出したこと。

何という公園だったのだろう?

私は生まれて間もなくから、バイク好きの父に抱っこされ、バイクのタンク部分に座らされ、日向ぼっこしていた。若くして私をこの世に連れ出してくれた両親は、毎週末、汗だくの夏も凍える冬も、私をおんぶ紐で背中にくくり付け、子供用ヘルメットをかぶらせてキャンプや温泉へのツーリングに連れまわした。

毎年のように、あるいはもっとひどい時は3か月などの超短期間で転校を繰り返した、ハードな子供時代。

いわゆる公僕であった父は転勤が多く、いつもいつも、まるで旅芸人のように、家族で日本国内、そしてついにはアフリカ、ヨーロッパまで転々とした。

お互いに大好きすぎて結婚した、夫婦と言う運命共同体なのだから、単身赴任は絶対にしないというのが、両親の方針だった。

青森の桜吹雪舞う公園での光景を思い出して、異常な感傷に浸った私は、眩しくて、懐かしくて、2300キロほど離れた所に住む母に、メールでこの記憶について問い合わせた。

「むつ市に住んでいた時、桜吹雪の中、桜並木の間を手をつながれてスキップしながら下ったのは、何という公園だったかな?」と。

母が間もなく、「ああ、それは早掛沼公園だよ。坂をスキップしながら下ったの、ママも覚えてるよ。」と返事をくれた。

もう覚えていないかと思った。

でも母は覚えていてくれた。

嬉しいのに、何だか切なくなった。ママ…。

 

子供時代は色々とハードではあったが、それ以上に、私はこの両親に手をつながれ、転ぶほどはしゃいで騒ぐくらい幸福な子供時代を過ごしたのだ、と確信した瞬間だった。

確信するのに、37年もかかったわけだが…。まあ良い。

とにかく、一つの答えが出た感じがして、涙が出た。

こんな感じで、色々諸々のことが思い出されて、妙な、捉えどころのない幸福感と寂寥感に浸る日々が1週間くらい続いただろうか。

ちょうど私の37歳の誕生日の前後のことだったので、また一つ歳を取るから、きっと人生の折り返し地点も過ぎた感じで、寂しいような気持ちになるのかな、と自分なりに解釈していた。

さて、その後まもなく、私は妊娠していると直覚した。

吐き気と、異常なだるさがあり、いつもの生理が始まる前兆に似ているが何かが違うと感じた。

何か今までに起こったことのないことが、自分の体の中で起きているという感じ。

風邪や自律神経の失調よりも重大な、かつ自然な「何か」。

思い当たることがあった。ちょうど仕事が超多忙で徹夜続きだったのがようやくおさまった頃、妙な下腹部痛と、薄い血のようなおりものがあったのだった。

生理開始予定日から2日、3日と経っても出血がない。

きっちり28日周期で生理が来る体質の私は、さては…といよいよ妊娠を疑った。

夫に、「妊娠しているかもしれない。テスターを買って来る。」と告げた。

その後彼は、仕事をしながらも気が気でなかったと言っていた。

緊張で黄色い顔色をして帰宅した夫は不憫だった。お互い気持ちを落ち着けるためにも少し話し合ってから、覚悟を決めて検査してみることに決めた。

判定結果は陽性。

どう見ても陽性。

時間が経っても陽性。

間違いなく陽性。

オゥケィ…。

Okay… I got it…

トイレでただならぬ予感、期待、不安、胸のざわつきとともに、薄紫色の線が出たのを見た時の気持ちは、なかなかうまく言い表せない、人生初の不思議なものだった。

やっぱりかという気持ちと、驚きの気持ちが入り混じった私の口をついて出た最初の言葉は、確か、「もうお終いだ。」だったと思う。

つまり、自分の子供時代が終わったということ。

今度は自分が親にならなくてはならない旅が始まってしまったということ。

もう引き返せないということ。

たとえこの先流産などしてしまったとしても、「妊娠した」という事実は残るわけだ。

私の肉体が、夫の遺伝情報を携えた精子を受け入れ、私の卵子と合体し、新たな人間を作ろうと、一歩踏み出したという事実は、残るわけだ。

私のこの小さな肉体が、この年齢になっても、神様の御意思に従って、母親になろうとしたという事実。

1人の人間をこの世に産み出すということに対する責任の重さ、つわりによる吐き気、嘔吐、体調不良への恐怖、お金の心配、出産で命を落とすかもしれないことへの怖れ…。

おしっこをかけたテスターを手に持ち、「もうお終いだよ、ねえ、本当に!?ちょっと、どうしよう…!」などと騒ぎながら、笑いながら泣きたいような、嬉しいような怖い気持ちで、トイレを流すのも忘れそうになりながら夫に訴えていたと思う。

夫も似たような反応だった気がする。

正直言って、あまりはっきり覚えていない。

ただ、その時の自分の服装は覚えている。

上はお気に入りのBenettonのクリーム色と赤色の花柄のフリルのついたブラウス。大好きで尊敬する友人と一緒にトルコへ行った時に着ていたもの。

下は夫と付き合い始めて初めてのデートの日にGUで買った、仕事用の黒いタイトスカート。

ベッドに腰かけて、テスターを見つめ、しばらく戸惑って興奮していた。

幸せな子供時代にさようならする時が迫っていたのだ。

ああ、だから、あんなに昔のことを思い出したり、寂寥感に涙もろくなったりしたのか…。

母が、「あんたがお腹にいるとわかった時、それとあんたが生まれてきた時、ものすごい責任を感じたものだよ。人を1人、死ぬまで守っていかなきゃいけない身になってしまったんだ、もう逃げられない、ってね。」と昔から言っていた。

私を産むとき、死ぬかもしれないと覚悟したという気持ちについても聞いていた。

秋生まれの私を産む前、「秋桜の花が咲くのを、ちゃんと生きて見られるかなあ…?」と思ったということも。

今は、母のそんな気持ちを、前よりさらに自分のものとして感じる。

寂寥感の正体は、こういった諸々のことだったのだ…。